こんにちは。ノンパス系戸籍変更組、MTFトランスジェンダーのさくらです。
今回はMTFが誰も書かない、MTFと素質について私の考えを紹介します。素質について話すと批判されそうですが、重要なことなので、書いてみようと思います。
MTFの素質とは
MTFかどれくらい女性として見られるかは、結構元の体や顔(素質)が重要だったりします。もちろん、女性らしさを身につけたり、ホルモン療法や手術などで女性に近づく努力も大切です。仮に素質があまりなくても、身体的な性別移行によって、ある程度女性に近づくことができます。
ある程度、女性に見えれば、女性として生活することはできます。私みたいに素質があまりなくても、一応なんとか女性として生活できています。周囲の人々の配慮に感謝です。
しかし、MTFになるのに素質は関係ないと言ったら、嘘になると思います。
身長が低かったり、華奢な骨格をしている、など女性に近い体を持っている人は、素質があると言えます。数ヶ月の女性ホルモンの使用で、パスできるでしょう。もともとの性別がわからない、完パスも目指せるかもしれません。私も素質のいいMTFさんを見ると、いいなって思います。服や靴を選ぶのも苦労しないでしょうし、心無い言葉をかけられることも少ないでしょう。
素質に関係なく性同一性障害になります
ところで、性同一性障害や性別違和は、生まれてきた体が自認する性別と異なることに悩む、状態です。体の素質に関係なく、なる可能性があります。例えば、身長が180cm後半、ガッチリした体格という、男性らしい体に生まれてしまっても、心が女性のため悩むこともあるのです。本当につらいと思います。
素質が良ければ、悩みがないわけではありません。人の悩みは人それぞれです。それでも素質が悪いと、そのことによって苦労します。例えば、なかなか女性として見てもらえなかったり、目立ってしまい周囲の奇異な目にさらされたり、服選びが大変といった苦労があります。私も素質が悪いので大変です。
素質がわるくてもあきらめる必要はありません
もし、素質が悪くても、女性化を諦める必要はありません。身体的な性別移行(ホルモン療法や手術)によって、女性に近づくことは可能ですし、女性として生活するのに完パスを目指す必要はありません。実際、私の周りにも、素質がいいとは言えないけれど、がんばっているMTFの方々がたくさんいます。
しかし、やはり苦労はすると思います。なので、男性として生活し続ける苦悩より、女性として生活することで出てくる困難の方が耐えられる、という人は、がんばってみてもいいと思います。
さらにいうと、素質がよければ、楽に女性として生活できるわけではありません。素質のよさに自惚れてしまい、努力をしないと、女性に近づけないと思いますし、周囲の人も認めてくれないでしょう。元男性が女性として生活するのには、多かれ少なかれ困難があるのです。(生まれながらの女性も苦労していますよね)
ここまで書いてきて、なんか女性化のハードル高そうと思われたかもしれません。でも、安心してください。身長が高めで、骨格も男性的な私も、性別移行して女性として生活できています。手術を受けて戸籍上も女性になりました。男性と結婚もしています。確かにつらいことや大変なことも多いですが、性別移行は自分でした決断ですので、後悔していません。女性として生きることは、困難も多いですが、自分らしく生きられて満足しています。
よく、「170cm超えたら女性化はやめておけ」とか「その見た目でやめて方がいい」とかいう人がいますが、さくらはノンパスMTFもありかなって思います。まだまだ、差別偏見はあります。家族や会社の都合で、思うようにトランスできないということもあるでしょう。しかし、どこまで女性化するかは人それぞれの選択です。ある人は、パートタイムで女性の服装をして満足すると思いますし、女性ホルモンだけで満足する人も多いです。手術を選択する人もいます。人の生き方を批判するのではなく、受け入れられるといいなって思います。
社会はだんだん変わってきています。LGBTに理解のある人や企業も増えてきています。今はつらくても、大丈夫です。将来は、もっと生きやすい社会になると思います。あきらめないでください。
まとめ
MTFが女性化するうえで、素質は無視できない要素です。しかし、素質が悪いからといって女性として生活できないわけではありません。つらいこと、大変なことも多いですが、乗り越えた先には女性としての素晴らしい人生が待っています。
素質が悪くても、自分は女性であるという確信が持続していて、自分は女性として生活するのだという強い信念があるひとは、女性化してもいいと思います。一方、素質が良くても、一時的な気の迷いで女性になってみたい人や、女性になった方が人生が楽と考えている人は、もう一度考えてみた方がいいでしょう(そういう生き方を否定するつもりはありません。自己選択は尊重します)。
毎度のことですが、長くなってしまいました。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。
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